2025年7月21日(月・祝)、石野富志三郎氏(全日本ろうあ連盟前理事長)の旭日小綬章記念祝賀会に出席するため、滋賀県のびわ湖大津プリンスホテルに行きました。

11時の受付開始前から3階の会場のロビーではたくさんの手話の花が咲いていました。
12時前に会場に入りました。200人を超える出席者で、会場内は熱気で包まれていました。


中西久美子全日本ろうあ連盟副理事長が司会を務めました。

開会のことばは、全国手話研修センターの小出新一常務理事でした。石野さんが全国手話研修センターの新理事長に就任されたこともあり、「これからも一緒に全国手話研修センターを盛り上げていきましょう」とのことばがありました。

祝賀会発起人を代表して、石橋大吾全日本ろうあ連盟理事長が「創立70周年のときの伊香保温泉の記念碑除幕式に、すでに亡くなってしまったきこえない人の娘さんが父親の写真を持って参加していただきました。鳥取県で手話言語条例ができて、これまで孤独であったそのきこえない人の家に初めてお正月に家族や親戚が集まったということでした。まさに“手話はいのち”であるということ。この話を全国各地に広めていただいた」と、エピソードを披露されました。

平井伸治鳥取県知事の代理として中西眞治福祉保健部長から「毎年開催している全国高校生手話パフォーマンス甲子園では第1回から参加していただきました。若い人の可能性を引き出す大会に対し、声援を送っていただいていることに感謝申し上げます」と、お祝いのことばがありました。

三日月大造滋賀県知事の代理として園田三恵知事公室長より「このたび受章されましたのは、多年にわたる聴覚障害者の社会的地位の向上に努められたからだと思います。その運動の先頭に立たれ、全国の自治体の議会に対し手話言語法の制定を国に求める活動をしてこられました。みなさんの努力が実り、6月の手話施策推進法制定に結びつきました」と、あいさつがありました。

佐藤健司大津市長の代理として栗本亮障害福祉課長より「大津市のろうあ福祉協会会長や手話施策推進協議会会長を務められ、長きにわたり本市の障害福祉の充実のためにご尽力いただきました。平成31年1月に大津市手話言語条例を制定し、令和6年3月には手話に関する施策を総合的、計画的に実施するため大津市手話施策推進プランを策定しました。今後もより一層のお力添えをお願いいたします」と、あいさつがありました。

発起人の一人である全国手話研修センター黒﨑信幸前理事長より「葬儀の時、普通は『おめでとう』とは言わない。しかし、石野さんは亡くなったご子息に向けて「『誕生日 おめでとう』『保育園 入園 おめでとう』と、何回も『おめでとう』と言えた」と石野さんは言っておられました。これを聞いて、石野さんの家族思いの優しい一面を知ることができました」とあいさつがありました。

社会福祉法人滋賀県聴覚障害者福祉協会の中村正理事より「石野さんと私は、滋賀県立聾話学校時代から55年間のお付き合いです。石野さんは生徒会長で、私は青年教師だったときに、3学期の始業式を生徒がボイコットしたことがありました。それが1つ目のつながりでした。私が別の学校に務めていたときに石野さんは保護者の立場でした。そのとき私たちは作業所作りに奔走していました。これが2つ目のつながりです。3つ目は、法人の初代理事長が辞めると言ったときに、冷静に対応したのが石野さんでした。ここ一番という危機の時の石野さんの頑張りや大局を見る力はすごいと思いました」と、エピソードを交えてあいさつがありました。

一般社団法人滋賀県ろうあ協会の田邊理恵子会長より「湖北地域に住んでいるろう夫婦の生む権利について、当時の石野さんは日本聴力障害新聞の記者として取材し、掲載しました。それが全国的な反響を呼びました。身近に優れた先達がいる。その先達者の思いを受け継いでいきたい」と、あいさつがありました。

祝杯は、全日本ろうあ連盟の髙田英一参与より「受章おめでとうございます。石野さん、奥様のお二人をお祝いし、合わせて皆さまの健康とご多幸を祈念し乾杯します」との発声で乾杯しました。

その後、たくさんの美味しいご馳走を頂戴しました。
また、食事をしながらテーブルごとに石野さんご夫婦と記念写真を撮りました。
1時間後にお祝いのスピーチがありました。
最初に全通研の私から「神奈川集会の交流会で石野さんから激励のことばを頂戴した。これからも三団体で力を合わせていく」ことを述べさせていただきました。
ちなみに、私のスピーチの手話通訳を担当してくださったのは中西副理事長の息子さんでした。ありがとうございました。

その後、5人の方々からあいさつがありました。
鈴木唯美会長(一般社団法人日本手話通訳士協会)
竹下義樹会長(社会福祉法人日本視覚障害者団体連合)
久保厚子顧問(一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会)
西山ゆらさま(水彩画家)
久松三二事務局長(一般財団法人全日本ろうあ連盟)
親族を代表して石野正義さんから「私は兄です。皆さまから温かいことばをいただきありがとうございます。朝早くからご準備いただきました皆さまにも感謝しております。今は亡き両親は、小さいときから富志三郎のことを大変心配をしておりましたが、今日のこの姿を見てとても嬉しく思っているのではないかと思います」と時々手話を使いながらあいさつがありました。

祝電披露
石原保志学長(国立大学法人筑波技術大学)
米津道幸会長(一般社団法人新潟県聴覚障害者協会)
阿部一彦会長(社会福祉法人日本身体障害者団体連合会)
樋口幸雄会長(公益財団法人日本知的障害者福祉協会)
大堀伸子さま
社会福祉法人全国手話研修センター 手話事業課皆さま
炭谷茂会長(公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会)
その他多数寄せられました。
一般社団法人滋賀県ろうあ協会の森田英昭さんと北川みよ子さんから記念品の目録が手渡されました。
また、ご親戚の渡邉日向(ひなた)さん、渡邉向日葵(ひまわり)さんお二人から花束贈呈がありました。
記念品贈呈
花束贈呈
最後に石野さんから謝辞がありました。
「今年の5月に受章者式典に参列してきました。15年間全日本ろうあ連盟の理事長として務めさせていただきました。この間、1つ目は障害者情報アクセシビリティ・コミュニケーション施策推進法、2つ目は東京2025デフリンピックの日本招致、3つ目は手話言語法制定の3つの運動を展開してきました。
創立70周年の記念事業で全日本聾唖連盟結成大会記念碑の“手話はいのち”私が考えました。久松事務局長から「習字で書いて」と言われて書き上げました。伊香保温泉にこの記念碑が建てられています。何故“手話はいのち”なのか。それは先人が守り続けてきたものだからです。手話の使用を厳しく怒られながらも守り続けて、差別と偏見と闘ってきた先人の苦労がありました。きこえない人、きこえにくい人の権利と暮らしを守っていくことが大切です。
写真に飾られていますが娘と息子です。息子は14年前に亡くなりました。東日本大震災が起きた時です。今生きていたら43歳になります。娘は5年前に亡くなりました。コロナ禍のときでしたので葬式は身内だけで済ませました。二人とも重複障害がありましたが、私たちを励ますように笑顔を振りまいてくれました。私たちは子どもたちから元気をもらっていました。亡くなった二人の子どもと共にこの受章を分かち合いたいと思っています。親戚の人もたくさん参加してくれました。参加者の中には初めて会う人もいます。これをきっかけに交流を深めてほしいと思います。
最後に好きなことばを披露します。「生かされて生きてきた。生かされて生きている。生かされて生きていく」と、締めくくられました。

3時間を超える祝賀会は滞りなく終わりました。
出口では石野さんご夫妻が見送りをしてくれました。
米野事務局長も一緒に記念の写真を撮りました。
2009年から2024年まで全日本ろうあ連盟理事長として頑張ってこられた石野さんに心より感謝申し上げます。これまでいっしょに活動して学んだことを今後に生かしていきたいと思います。
新たな出発が実り多きものとなりますよう心から応援しています。

(文・写真:全通研会長 渡辺正夫)
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