長崎支部の結成40周年記念式典【番外編】
散歩好きな私は、今回の長崎でも市内を歩きました。
11月23日は長崎駅に着いて、駅構内にある案内所に行き、市内地図をもらい、当時に会場のホテルなどを教えてもらいました。直ぐに会場である「長崎サンプリエール」の場所を確認し、自分の今夜泊まるホテルまで歩き、荷物を置いて街歩き出発です。今回、チャンポンは絶対食べたいと思い、新地中華街を目指しました。途中にカステラで有名な「文明堂総本店」を偶然見つけました。長崎の人は、カステラは文明堂だ、いや福砂屋だと言っているようです。
そして、その直ぐ近くを歩いていると「江戸町商店街(幕末偉人通り)」がありました。
そこを通り抜ると新地中華街です。どこのお店に入るか迷ったのですが、式典の開始時間も気になっていたので、「すぐに食べられるよ」と声をかけてくれたお店(龍園)に入り、念願のチャンポンを食べることができました。
出島橋を渡り出島の外見だけを見て、会場に向かいました。
出島は、是非、中を見たいと思っていましたが、今回も見ることができませんでした。
二日目の11月24日は、朝早くホテルから歩いて平和公園に向かいました。
「平和を祈る子」や「平和の母子像」を見ながら少し歩くと「長崎原爆資料館」がありました。そして、いくつかの碑を見てから「長崎誓いの火」「被爆50周年記念事業碑」を見て、やっと 原子爆弾落下中心地にたどり着きました。その近くのところに「被爆当時の地層」が展示されていました。
少し小高いところに行くとさまざまな国の碑が建てられていました。その奥に「平和祈念像」がありました。私は知らなかったのですが、像の裏には、「平和祈念像作者の言葉」北村西望氏の言葉が刻まれているとのことでした。
平和祈念公園の裏側を5分くらい歩くと「長崎県聴覚障害者情報センター」がありました。今日は金曜日なのでセンターは開所日ですが、早朝でしたので外観を写真におさめて失礼しました。今度は、是非、見学したいと思います。
本当は、浦上天主堂まで行きたかったのですが、歩き疲れてしまい今回は諦めました。
ホテルに引き返しました。平和公園に向かうときに気にかかっていた建物がありました。それは、屋上に観覧車が設置されている建物でした。また、「聖徳寺下原爆柳」もありました。
長崎駅前に戻ってきました。ここにはピアノが置かれていました。西九州新幹線開業記念「駅ピアノ」設置と書かれていました。
リムジンバスで長崎空港に向かいました。
長崎空港の五島うどんの牡丹というレストランで、皿うどんを食べました。太麺を注文してしまい失敗しました。想像していたパリパリ麺ではなかったからです。注文するときによく聞いてからにすれば良かったとちょっと反省しています。
お土産には、インターネットで前もって調べておいた福砂屋の「手作り最中」を買って飛行機に乗り込みました。
11月26日(日)の朝日新聞の朝刊には、アメリカを訪問して被爆体験を語る長崎からのキャラバン隊の情報が掲載されていました。
ロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのガサ地区攻撃の2つの戦争が起きている中、被爆地である長崎を訪問しました。特に、平和公園にある平和祈念像には是非とも、その場に立ちたいと思っていました。戦争を早く終え、平和な日常の生活に一日でも早く戻ってほしいと心から祈りました。
(文:全通研会長 渡辺正夫)
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