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2016年1月21日 (木)

全通研国際部 アジア視察旅行!

2016年を迎えた1月早々、6日(水)から12日(火)まで全通研国際部の3人はフィリピンとインドネシアの
手話通訳者の現状を視察するため、関西空港を飛び立ちました。
 
全通研は世界手話通訳者協会(WASLI/以下「WASLI」という。)アジア地域理事を担当しており、
2006年から世界会議の年を除いて、毎年アジア手話通訳者会議を開催してきています。
そして、できるだけ多くの国から参加してもらいたいと、経済的に困難な国の通訳者への財政支援をしてきました。
 
そこで、今年度はこれまで支援してきた国の手話通訳制度や通訳者の状況を、実際に会って聞こう
ということになり、2カ国を訪問したのです。
 
「びっくりポン」満載の旅でしたが、いろいろ学びがありました。
 
 
【フィリピン編】
 
<フィリピンの手話通訳者たち>
 
フィリピン手話通訳者協会(PNASLI)は、2011年に設立されました。
フィリピンは7,000以上の島からなる国で、首都マニラがあるルソン島が活動の中心になっています。
 
手話通訳者は今回訪問した、セント・ベニルデ短大に所属している通訳者が25人。
他にも通訳をしている人はいるけれど、認定・登録制度がないので通訳者の数は把握できていないということでした。
 
これからこの短大で通訳者養成を試験的に開始し、将来的に養成・試験・認定と制度を立ち上げるということです。
ろうの親戚や友人から手話を習った人やCODA(ろうの親を持つ聞こえる子ども)が手話通訳をしており、
公的派遣がないのでろう者が謝礼を支払わなければなりません。
 
無償ボランティアで通訳をする場合も多いということでした。
ろう者の権利を守るとともに、通訳者の権利保障が課題と話していました。
 
手話通訳養成研修を受けていないので、通訳とは何をするのか、守秘義務とは何かを知らない人が通訳をしている。
これからは手話技術だけでなく、倫理や知識、ろう協との協働についての教育が求められているという話でした。
 
ろう者はフィリピン手話の他、さまざまな島独自の手話(方言)でコミュニケーションをしています。
手話の統一はまだされていません。音声言語も英語、タガログ語、地域独自の言語と多数あり、参加者を見て
英語かタガログ語かどちらで話すか、言語を決める場合もあるということでした。
日本では考えられないですね。
 
制度の構築は、フィリピンろうあ協会と共同で取り組んでいて、ろうあ協会の会長さんにも会いました。
とても積極的に活動をしている様子でした。
 
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ろうあ協会会長のキャロリン・ダガーニさんと
 
 
<フォーラムは部屋いっぱいの参加者だった!>
 
マニラの通訳者のナティ・ナティビダッドさんは、これまでアジア手話通訳者会議に参加していて、
今回の訪問の連絡窓口になった方です。彼女から
「日本から来てくれるのだから、フォーラムを企画しました。1コマ、講演してください」
とメールがきました。
 
出発前の「びっくりポン」です。
 
日本語でも1時間話すのはドキドキ、大変ですよね。それを英語でなんて。
必死のパッチ(この関西弁、全国区でしょうか?)でパワーポイントと読み原稿を作成し、
国際部員さんに英語に翻訳してもらいました。
みんなの力をいっぱい借りての準備です。仲間ってありがたいと、つくづく思いました。
 
事前に何人くらいの参加かと聞くと、「今のところ申し込みは25人。50人にはしたい」との返事。
まあ1クラスという感じかなと思っていましたが、前日の打ち合わせで
「150人の申し込みがきているよ。Facebookで日本からプロフェッサー・ウメモトが来て、
講演会をすると呼びかけたら申し込みがまだ来てる」と言われて、
 
2つ目の「びっくりポン」です。
私、プロフェッサーじゃないし、そんなに期待されても…。
 
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セント・ベニルデ短大の正面と中庭
 
9日の朝、8時半くらいに会場に行くと、すでに20人くらいの参加者が椅子に座っていました。
結局セント・ベニルデ短大の先生、学生、手話学習者、ろう者など全部で93人の参加者でした。
セブ島のろう者は「このフォーラムに参加するため、昨日飛行機で来たの」。
ナティさんも「こういう機会があればみんなで集まれるから、とてもよかった!」と喜んでくれています。
多くの島から集まるのは、ほんとうに大変なんですね。
 
フォーラムの1番バッターは、私です。WASLIと全通研の歴史と活動について話しました。WASLI会報などには全通研集会の記事など載せて、日本の情報を発信していますが、
こんなふうに海外で講演するのは初めてです。
 
『わたしたちの手話Ⅰ』『We love コミュニケーション』『研究誌』など実物を見せながら、
パワーポイントを使って私たちの活動を紹介しました。
 
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次は、この短大の先生であり手話通訳者でもあるジョン・バリザ氏がフィリピンの手話通訳活動の歴史を話し、続いて
フィリピンろう協会会長のキャロリン・ダガーニさんがろう協の活動と通訳者組織との協働について話しました。
最後は、手話通訳制度の構築に向けてナティさんから提案があり、最後にグループ討議。
朝9時から4時前までのフォーラムです。
 
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もちろんストレッチをみんなでしました。私はいつも日本でするストレッチをしたのですが、フィリピン風ストレッチは
一列に並んで、前の人の肩や背中をトントンするのです。
大人がみんなでトントンしているのは、とても可愛らしくてほほえましかったです。
 
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短大校内を案内してもらいました。ここには聴覚障害者課程があり、200名ほどの聴覚障害学生が学んでいます。
すべての部屋の入口には、部屋の名前と手話表現が張り出されていました。
視聴覚教室には、「日本財団の支援でできました」というプレートが掲げられています。
 
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<テレビ通訳のワイプは小さかった>
 
8日の夜7時から、ニュースに手話通訳がつくというので、ホテルでテレビを見ました。ワイプはどこかと探すほど小さく、
表情や口形などほとんど見えません。1時間ずっと同じ人が通訳をしていました。
 
9日のフォーラムでその通訳者に会ったので感想を話すと、
 
「ワイプが小さくて見にくいのは不満。通訳者ももっと増やさないと、一人では大変」ということでした。
 
ちなみにフィリピン手話の「大変」は、日本手話の「憲法」と同じです。なんだか不思議な感じです。
 
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<街並みと交通事情>
 
マニラはスペイン統治時代の名残がある、古い石畳や城壁が残っている素敵な街です。
1600年に建てられたフィリピン石造建築で最も古いサン・オウガスチン教会やマニラ大聖堂など、荘厳な建物が
たくさんあります。
 
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道路も広くて片側3車線くらいあります。
 
だけど、そこにバス、ジプニー(ジープを改造した乗り合いバス)、タクシー(エアコン付きと車体に書いてある)、
メガタクシー(ワンボックスカーのような車を改造して、13,4人まで乗れるようになっている。フロントに行き先が書いてあるので、地図がわかればタクシーより安いけれど、どんどん乗ってくるのでギューギュー詰め。タクシーがつかまらなくて一度だけ乗った)、
トライシクル(オートバイの3輪車。座席はチョー狭い)、バイク、馬車(本物の馬が引いてます)が、道路いっぱいに走っています。
 
もちろん信号はあるのですが、歩行者優先ではない!右左折車がどんどんくるので、
信号が青になったからといっても、安心して道路を渡ることはできません。
道路を横断するときは、いつも地元の人にくっついて「ヒエー!」とか言いながら渡りました。
 
鉄道もありますが、改札に入るまでに1時間以上並ぶそうです。このフォーラムに参加する人も、
そんなに遠くない自宅ですが、3時間前に家を出たと言っていました。
交通事情はかなり大変ですが、人々のエネルギッシュな暮らしぶりに圧倒されました。
 
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<食べ物>
 
2010年にフィリピンのタガイタイでアジア手話通訳者会議が開かれました。
その時は、あまり食事の印象はありませんでした。
でも、今回はなんたってチキン!!
 
マニラに着いたその日の夕食に何を食べようかと、ホテルのドアマンに聞くと「マクドナルドがいい」というのです。
 
プチ「びっくりポン」です。
 
ここまで来て、それはないだろうと「フィリピンらしい食べ物は?」。
ホテルの前の小さなチキン専門店を紹介してくれました。その日はすでに閉まっていたので、
翌日「なんだか薄暗いね…」と言いながらチキン1羽をテイクアウトし、ホテルの部屋で3人で食べました。
 
「美味でござります~!」と叫ぶくらいおいしくて、なんと翌日の夜も同じ店でチキン1羽。小さな店なのですが、
店の中でニワトリがいい焼き色でグルグル回っているのです。間違いない!
朝食なしのホテルなので、朝もおいしそうな食堂を探してウロウロ。あまり期待しないで入った
ファーストフード店風の店が、これも大当たり!サービスも丁寧でとてもおいしかったです。
 
日本を出る前に「水に注意。氷やサラダも生水を使っているからお腹を壊すかも」とさんざん言われていましたが、
野菜が少ないのでサラダが食べたい。
最初は恐る恐るでしたが、3人のお腹はなんともありません。それからは気にせずパクパク、
氷が入ったジュースもゴクゴク。
 
私たちの胃袋は順応性が高いのでしょうか。
それでも、屋台の食べ物は後ろ髪をひかれながら、ちょっと遠慮したのです。    
 
 
 
                              写真・文 / 国際部部長 梅本 悦子
 
 
【インドネシア編】
 
<ジャカルタの通訳者たち>
 
ジャカルタで活動するINASLI(インドネシア手話通訳者団体)の通訳者たち10名と会談しました。
以前インドネシアにはたった一人しか通訳できる人がいませんでした。その一人が時間をかけて仲間を作り
現在5名の通訳者が育ち、昨年11月にINASLIが結成されました。
 
インドネシアには約17,000の島があり約700の言語があるそうです。
手話も地域によって違いがあり、共通の手話の本も2年がかりで発行の準備が続いているとの話でした。
 
特に、教育現場で使用するために人工的に新たに作られ政府が公認する手話「SIBI」と、
伝統的にろう者が使っているコミュニケーション手話「BISINDO」では単語や文法が大きく違うそうで、
ろう者はSIBIを自分たちの言語である手話として認めないなど複雑な問題が起きていました。
 
手話通訳の認定制度はまだなく、まずは手話の保存や統一を行い、だれもが理解できる手話通訳をしていきたいと
熱く語ってくれました。
 
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INASLI のメンバー 
 
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みんなでランチしながらたのしくミーティング
 
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食べる時間もなくなるくらい話はつきません
 
 
<ゲストハウスに泊まりました>
 
今回INASLIのピンキーさん(写真右の方)がお勧めのゲストハウスを探してきてくれました。
なんと事前に外観や部屋の様子まで写真を撮り、送ってくれました。感謝。
 
周囲の建物は電気が消え真っ暗な深夜に到着した私たちはちょっと不安でしたが、中に入るとこじんまりとして
家庭的な感じで、小さなヤモリもお出迎え。
クーラーの調子もシャワーの温度もちょうどいい感じ。
 
朝になり明るくなって見ると部屋の前にこんな前庭がありました。
 
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<INASLIを支援する地域のろう者との意見交換会>
 
INASLI結成の報告のあと、INASLIを支援する地域のろう者約20名との意見交換がありました。
みなさんから全通研に対したくさんの質問がでました。
「手話の本はあるの?」「日本の手話は共通なの?」「だれが派遣をしているの?」などなど。
私も知っていることは総動員して、国際手話やらASLもどきやら身振り手振りで話しました。
 
あっ?そういえば通訳してもらっていないわぁ、そうです。手話は国を超える。すばらしい。
 
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<GERKATIN(インドネシアろうあ協会)のみなさんと>
 
組織内にPLJ(手話通訳検討委員会)を持つGERKATINのみなさんと会談しました。
メールでのやり取りがうまくいかず、なかなか時間調整ができないまま日本出発。
ジャカルタではインターネットになかなか接続できず心配でしたが、現地でINASLIのみなさんからもご連絡いただき、
無事にお話しすることができました。
 
ここでも前日と同じような質問がでました。英語-インドネシア手話通訳者の方も同席していましたが、
やはり手話で直接お話しすることができました。
 
限られた時間で十分な話はできませんでしたが、ろう者も通訳者も同じ目標を持ってともに歩むことが大切だねと
共感してくれました。
 
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<インドネシア社会省の障害者担当部へ表敬訪問>
 
ピンキーさんがインドネシア語でINASLI設立について挨拶をされ、それをササンティさんが英語に、
それを聞いて長崎さんが日本語に。
 
そしてこちらが話す時はその逆にと、少し時間がかかりましたが、こんな経験は初めて。
どうすれば翻訳しやすく話せるか、とまどいながらの訪問でした。
 
全通研からは組織の概要を紹介して『研究誌』の『英語版』とよりパンの英語版をお届けしてきました。
 
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<国営放送TVRIでニュースの手話通訳収録を見学しました>
 
ニュースは毎日生放送1時間。手話通訳は交代なしで一人で担当します。
小さなワイプで登場する手話通訳は一日おきに人工的な「SIBI」と伝統的な「BISINDO」が入れ替わります。
 
今回はピンキーさんが担当する「BISINDO」通訳。通訳者が表現が分からない単語があれば
小声でアシスタント通訳者に伝え、アシスタントが指文字か紙に書いてろう顧問に伝え、ろう顧問が通訳者に
手話表現を伝えます。
 
通訳するのは1人ですが、こうして3人で協力し合います。
 
放送しているスタジオで通訳も同時に収録されます。スタジオの中はキャスターもスタッフもリラックスした感じで
日本人の私たちだけが緊張しているようでした。
 
収録中にアシスタント通訳者が急に私たちに近づいてきて、
 
「テレビ手話通訳のワイプのサイズについてもっと大きくするよう交渉したいので、WASLIで国際基準を作るよう伝えてほしい。」
 
と普通に話しかけられた時は、かなりあせりました。
音をたてないように身振りで「わ、わかりました。伝えます。」と答えるのが精いっぱいでした。
 
 
                            写真・文 / 国際部員  前田真紀、長崎千佳恵
 
 
【さいごに】
初めての視察旅行で、いろいろなことを学びました。
これまでもアジア手話通訳者会議で情報交換をしていたのですが、それだけでは運動が具体化していかない
ということを痛感しました。
 
日本の活動スタイルがすべての国に適するわけではありません。
でも、小さな地域で集まって話し合うことからスタートし、少しずつ活動の範囲を広げていき、理解者を増やす。
 
また、ろう者と一緒に行政に要望していくなど、一つひとつ日本の経験を話していくことが参考になるのでは
と思います。
 
今回はフィリピンとインドネシアの2カ国訪問でしたが、近隣の国がいくつか集まり、そこに私たち全通研が参加して
お互いの経験交流をしながら、自国の制度について話し合うような場が作れたらいいなと思います。

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