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2014年12月10日 (水)

JDF十周年記念全国フォーラム

12月4日(木)、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで行われた
「JDF十周年記念全国フォーラム」に佐々木良子理事と事務所の青柳が参加しました。
 
(JDFとは…「日本障害フォーラム」 13の団体により構成されているhttp://www.normanet.ne.jp/~jdf/)
 
 
朝6時に京都を出発し、東京の人ごみに困惑しながらも何とか会場にたどり着きました。
 
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会場に入ると、受付で同時通訳機というものが渡されました。
今回のJDF十周年記念全国フォーラムでは外国からの講師が来ており、
英語と日本語でのシンポジウムを行うため、この機械によって同時通訳が行われました。
 
 
10:30から午前の部が行われました。
開会挨拶として日本障害フォーラム代表の嵐谷安雄氏より、
障害者権利条約の批准とJDF十周年のお祝いの言葉がありました。
 
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次に来賓挨拶として外務省外務大臣政務官の宇都隆史氏より、
「昨年の12月4日は、国会において障害者権利条約の批准が承認された日。
そして本年1月20日に日本が権利条約の批准書を寄託し、世界で141番目の条約批准国となった。
しかし、権利条約の批准はゴールではなくスタートであるという言葉を借りれば、
この国まだはスタートしたばかり。これからも外務省は力を尽くして取り組んでいきたい」
と挨拶がありました。
 
 
 
◆日本における障害者権利条約について◇
    障害者権利条約は、2006年12月13日、第61回国連総会で採択、2008年5月3日に発効しました。
    日本では、2013年12月4日に、批准のための国会承認を得て、
    2014年1月20日に「障害者権利条約」の批准書を国連事務総長に提出(寄託)。
    そして、世界で141番目の条約批准国となった日本では2月19日から、
    「障害者権利条約」が効力を生ずることとなりました。
 
 
 
次に特別プログラムとして「障害者権利条約批准までの道のりとJDFの10年」として映像が公開され、
会場が一体となって今までの歴史を振り返りました。
そして、映像が終わるとJDF構成団体代表が舞台上で集まり、
「今回、1団体欠席となりましたが、こうして他障害のことを理解するのはなかなか難しい中で
  ひとつの目標に向かっていろいろな団体が活動に取り組む姿は大切だ」
とお話がありました。
 
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続いて、2011年にアメリカで公開されたドキュメンタリー映画
「Lives Worth Living(生きるに値する人生(仮訳))」のダイジェスト版が上映されました。
この映画の内容はADA(アメリカ障害者法)の制定を巡って障害者団体がデモを起こした様子が記録されており、
今回上映された中にはバス停の前で車椅子から降りて人権についての抗議を行ったり、
ADAを可決するまでデモをやめないと権利を求めて車椅子から降りて国会前の階段をよじ登り、
訴え続けたという描写がありました。
中には脳性まひを患った少女が何日かかっても登ってみせると一生懸命階段をよじ登っている姿も映されており、
ADA可決までの当事者団体の活動と政治家たちが法案を通すまでの様子が鮮明に記録されていました。
映像が終わると会場は拍手に包まれ、中には涙を流す方も見られました。
最後にJDF企画委員長であり、全日本ろうあ連盟理事の小出真一郎氏より、
イエローリボンについて「JDFが2007年から掲げるシンボルで、誰もが暮らしやすい社会を全ての人と
共に作っていくためのシンボルマークです」との紹介がありました。
 
 
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以上で午前中のプログラムが終わり、昼休憩を挟んで13:30より記念シンポジウムが行われました。
記念シンポジウムは講師4名、コーディネーター1名で行われました。
 
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◆講師及びコーディネーターの紹介◇
講  師
 マリア・ソレダード・レイエス氏(弁護士/国連・障害者権利委員会委員長)
 ジュディ・ヒューマン氏(米国国務省 国際障害者の権利に関する特別顧問)
 林  陽子氏(弁護士/国連・女性差別撤廃委員会委員)
 久松 三二氏(JDF幹事会副議長/全日本ろうあ連盟事務局長)
 
コーディネーター
 藤井 克徳氏(JDF幹事会議長)
 
 
はじめに藤井氏よりこの記念シンポジウムのねらいの説明がありました。
・改めて会場の皆さんと障害者権利条約の本質を再度復習する。
・権利条約をもって明日からできることはなにか。
・「私たち抜きに私たちのことを決めないで」のスローガンとの関係でこの国のシステムの課題を考える。
以上のこと踏まえ、講師の方より一人ずつスピーチがあり、その後、
・権利条約と社会のあり方、当面すべきことについて
・政策決定過程について
という2つの視点を参加者も含めて議論するという形で進行しました。
 
 
スピーチの中では、権利条約の批准がされていないアメリカでのADAを含めた障害者権利に関する問題や、
権利条約を批准した日本の今後の課題、女性差別の観点から見る日本の人権の問題についての話など、
国内外問わず人権についての様々なスピーチがありました。
 
 
また、議論をする際にも様々な障害を持つ参加者方から意見や質問が寄せられ、
それに講師の方が答えていくという形で会場がひとつになった議論が展開されました。
最後に藤井氏より、「権利条約は日本の政治や行政、社会に対するイエローカードである。
 
 
今後の政策は何を作るかより、誰が作るかが重要、最終的に作っていくのは障害者の当事者なのだから、
これからもこうしてまとまること、一つになることが大事。
これらを肝に銘じて明日からも頑張りましょう」との締めの言葉があり、JDF十周年記念フォーラムは終了しました。
 
 
(文・写真 全通研事務所 青柳恵太)
 
 

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