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2014年11月18日 (火)

第23回けいわん患者の全国交流集会

11月8~9日岐阜県下呂市「下呂温泉」でけいわん患者の全国交流集会が開かれました。
8日朝6時、山口を出発し、名古屋で乗り継ぎ飛騨川を上り下呂へ昼頃到着しました。
 
会場は、岐阜支部の方の協力により、豪華な会員制ホテル
「ダイヤモンド下呂温泉ソサイティ」で行われました。
 
15時から、北原照代医師による学習会「最近の痛みの治療について」があり、
痛み(痛みとは・痛みの役割・痛みの情動・痛みの強める原因はさまざまにある)について、丁寧な説明があり、
次に近年の痛みの治療(内服薬・局所注射・神経ブロック・認知行動療法・運動療法・鍼灸・経絡治療)について
医学的な見地からの説明がありました。
 
特に、経絡治療について具体的な説明があり、今まで全く痛みの知識がない私にも理解することができました。
 
 
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(写真:経絡治療の様子)
 
 
夕方からは、夕食、温泉、買い出し、交流会と続き、参加者10名と少なかったのですが、
懇親を深めることができました。
ただ、私は途中で寝てしまい、気づいた時には交流会も終わっていまして
いつのまにか布団にいました。
 
 
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(写真:夕食会の様子)
 
 
9日、朝から意見交換会を行いました。
まずは自己紹介をし、その後、公務災害と労災、手話通訳者の身分、健康対策部の行事等の議論が白熱し、
有意義な意見交換会になりました。
 
 
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(写真:意見交換会の様子)
 
岐阜支部やけいわん患者会役員の皆様、大変お世話になりました。
ありがとうございました。
 
 
(健康対策部担当理事 伊藤利明)

2014年11月11日 (火)

板橋正邦氏を偲ぶ会

11月2日、福島市において板橋正邦氏を偲ぶ会が開かれ、石川と渡辺副会長が参列しました。
 
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ご存知のように板橋氏は1968年に開催された第17回全国ろうあ者大会の折、
全国各地で独りぼっちの活動をしていた手話通訳者を集め、
第1回全国手話通訳者会議を開催された方です。
この第1回全国手話通訳者会議を契機として、1974年に全国手話通訳問題研究会が誕生しました。
この意味で、板橋氏は全通研生みの親とも言えます。
 
また、全日本ろうあ連盟の副理事長として「アイ・ラブ・パンフ」普及運動を進め、
第10回世界ろう者会議(フィンランド)の日本団長として、アジアで初めての世界会議を
東京に招聘するなどたくさんの功績を残されました。
 
今年、福島で開催された「第47回全国手話通訳問題研究集会inふくしま」では、
松本氏との対談も予定され、多くの参加者が楽しみにしていました。
しかし、体調不良から入院され、企画は実現しませんでした。
私たちは次の機会を期待し、回復を祈っておりましたが残念ながら、9月11日にご逝去されました。
 
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お花で囲まれた板橋氏の写真が中央に飾られた偲ぶ会会場には、板橋氏と共に活動を進められた
「戦友」(高田、松本、黒崎、山内、花田、市川氏等)もたくさん参列され、氏の功績をたたえ、
同時に無念に思うお話がありました。
 
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偲ぶ会では、石野連盟長と共に、全通研も来賓挨拶の一人に指名され、
お別れの言葉を述べる機会をいただきました。
 
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福島のろう青年達が受付、接待等で奮闘してくれていました。
ここでも板橋氏の人柄と、運動を未来に繋げていく氏の思いを強く感じながら会場を後にしました。
 
(文・写真/石川 芳郎 会長  写真/渡辺 正夫 副会長)

2014年11月 5日 (水)

高松裁判の傍聴と報告集会に参加して

高松市手話通訳市外派遣拒否裁判の和解に向けた裁判の傍聴及び、
記者会見、報告集会に出席しました。
 
 
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11:30に開廷、40名ほどが出席している中、裁判長が和解文書を読み上げ5分ほどで終了しました。
 
13:00からの記者会見は、13:30が終了予定でしたが、大幅に越え14:15まで記者の質問が続き、
マスコミ各社の関心の高さがうかがえました。
記者会見の質問では、「手話通訳派遣に関する裁判は全国で初めてなのか」
「法廷における情報保障は今後どうしようとしているか」など多岐に渡っていました。
 
 
14:25から報告集会がはじまりました。
石口弁護士から、10月初めに開いた日弁連の大会で、
障害者の権利条約をどう具体化するべきかを分科会の中で討議し、
障害者権利条約の完全実施を求める宣言を出したことが報告されました。
また、高松市には、「手話通訳派遣が全国のモデルになるような運用をしていきましょう」
と提案したと報告がありました。
 
 
池川さんは、
『2年8ヶ月を振り返り、手話通訳派遣要綱の改正に集中して取り組んできた。
今年の娘の卒業式での派遣は、高松市の費用負担ではなかった事が、後で市から知らされ
複雑な気持ちが今もあるが、要綱改正ができたのでよかった。
支えてくださった方々に心から感謝しています。』
と述べられました。
 
全日本ろうあ連盟の久松事務局長は、
『全国で初めての事例であり、今日は歴史的な日になった。
池川さんはじめ多くの支援者が歴史を作った。
また、派遣を「お願いする」ではなく、通訳を使うのは「当たり前のこと」と認識し、
活動を続けていきましょう。』
と話されました。
 
全通研からは森川が出席し、
『全通研は40周年を迎える組織であり、一貫して聴覚障害者の暮らしから社会問題を学び
ともに歩んできた団体である。
このたびの裁判は手話を学び活動する私たちにも大きな問題として提起され各地域でも
制度を考える機会となった。
第一回弁論の時に、池川さんが裁判長に向かって「裁判長、私の手話をみてください」と
言われたことはとても印象深く残っており、手話で生活しているろう者の「当たり前に通訳を」
という願いが伝わってきた。
今後は高松市が約束を違えず誠実に実行されるかを全国の仲間とみていきましょう。』
と話しました。
 
 
若林弁護士から、和解への経緯について説明がありました。
『高松市が要綱に基づき誠実に実行すると約束した。
私たちは、①裁判の取り下げる、②通訳費・慰謝料を取り下げる、③裁判費用は各自負担、と決めた。
一市民が行政を相手取って裁判を起こすことは、自分の氏名も公表しないといけないし
とても勇気のいることである。池川さんの頑張りのおかげで弁護団も頑張れた。
この裁判は、池川さんだけの裁判ではない、全国の情報保障が必要な方々の代表として
戦われたものだ。池川さんの頑張りに感謝したい。』
 
 
最後に池川さんから、
『若い人たちにも、自分たちには手話通訳が必要だともっと自覚してほしい。
これからも全日本ろうあ連盟や関係者の皆様と共に歩み歴史を作っていきたい。
全国のカンパなど応援してくださった皆様に感謝します。』
と結び、これからが新しいスタートであることを参加者全員で確認し、報告集会を終了しました。
 
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(森川美惠子 理事)

2014年11月 4日 (火)

第2回 防災対策会議

 11月1日(土)、2日(日)の2日間、郡山市で第2回防災対策会議が開催されました。
 昨年の3月に第1回の会議が神戸で開かれたのに続いての会議でした。
この会議は2年に1回、開催される予定となっています。
 
 
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 初日は、今年の8月に開催された全国手話通訳問題研究集会inふくしまの開会式が
行われた同じ会場である郡山市民文化センターで開かれました。
 
 全体会では、聴覚障害者災害救援中央本部の石野富志三郎運営委員長の挨拶並びに
基調報告がありました。
続いて、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課 自立支援振興室 情報支援専門官の
鈴木敏弘氏からご挨拶を頂戴しました。
 
 
 
また、今回の目玉である講演がありました。「原子力発電所と災害~福島で暮らして」というテーマで
漫画家の山本おさむ氏からお話がありました。
 
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3.11の当日、山本氏は埼玉県の事務所にて、奥様は福島県の天栄村で愛犬と一緒に
地震にあわれたとのことでした。12日、東電の原子力発電の水素爆発が起き、奥様と愛犬は
その日の夜に埼玉に移動しました。
山本氏はこれまで放射能のことについて、全く無関心であり無知であったことを思い知らされたと
話していました。知らないではすまされないということで放射能について調べ尽くしたそうです。
当時に、放射能に関する話も一生懸命聞いていました。わかったことは、それぞれの主張する
立場によって見方や考え方が違うということでした。
 
また、天栄村の自宅の放射能値を自分で測定器を購入し、計っていました。
雨樋の値はやはり想像していたように数値が高く出たそうです。
これらの経験から、放射能に対しての知識をもつために情報を集めること、その情報をもとに
自分で考え今後どうするのかを選択することが大切だと話されました。
福島県を放射能恐怖のスケープゴートにしないことが重要だとも訴えていました。
 
 
 
次はパネルディスカッションでした。
司会は石川芳郎副運営委員長が務めました。
 
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岩手、宮城、福島の代表者から発表がありました。
そして、中央本部から小出真一郎氏から地域防災学習会や訪問調査をとおして見えてくる
課題についての発表がありました。
 
このパネルの最後に、御嶽山の爆発で聴覚障害者の2人が死亡、行方不明になっていることについて、
「マスコミ対策が実は大変重要である」と参加者より話がありました。
家族が何も発表していないにも関わらず、大勢のマスコミ各社が聴覚障害者や手話通訳者宅を
訪れコメントをとりに来たそうです。
1時間の休憩を挟んで、「東日本大震災支援」と「地域災害支援」の2つの分科会に別れて
2時間ほどの協議をして1日目が終わりました。
 
 
 
 
2日目は、会場を郡山駅近くの郡山ビックアイ・7階市民交流プラザで、昨夜に引き続いて、2つの分科会が2時間ほど開催されました。
 
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そして、全体会がありました。2つの分科会の報告があり、質疑応答がありました。
特に災害が発生したときに避難所の運営、手話通訳者の派遣などに係る費用は
どうなるのかと言った質問が多く出されました。
 
政府として負担する範囲は激甚災害指定となった場合であり、その他、日常的には
「地域生活支援事業実施要綱」の中にある「自発的活動支援事業」があり、補助制度が
あることが示されました。
 
久松事務局長から総括があり、命を守る行動は会員、非会員を問わない取り組みが
必要であり、自身のモットーである
「One for all,all for one」(みんなは一人のために、一人はみんなのために)を大切に
活動しようと話されました。
 
 
最後の閉会式で小椋英子副運営委員長より「地元で先ず実践することが大切だ」と挨拶があり、
無事に2日間の予定を全て終了し、散会しました。
 
 
(文・写真 渡辺正夫 副会長)

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