第6回アジア手話通訳者会議が開催されました!
8月25日から27日の3日間、第26回WFD(世界ろう連盟)アジア代表者会議と、
それに並行して第6回アジア手話通訳者会議がマカオで開かれました。
マカオろうあ協会の設立20周年記念行事に合わせて、開催地が決定されたのです。
また、アジア手話通訳者会議に先立って、WASLI(世界手話通訳者協会)理事会も開かれました。
会議の様子を報告します。

WFDアジア太平洋事務局代表者会議(現在、太平洋はアジアから分かれています)は、
1984年香港で第1回会議を開きました。
当初は2年に1回、その後、世界大会の年を除いて毎年開催されています。
WFD会議事務局の協力のもと、第16回ジャカルタ会議(2004年)と
翌第17回上海会議(2005年)に全通研運営委員が参加し、
ろう者会議と並行してアジアで手話通訳者の会議を開きたいと働きかけました。
2006年マカオで第1回アジア手話通訳者会議が実現し、今年で6回を重ねています。
WASLIは2005年に設立し、全通研は立ち上げ準備からかかわっています。
設立当初からずっとアジア地域理事を担当し、アジア手話通訳者会議を主催しています。
今年は、そのWASLI理事会をマカオ会議と合わせて開くことになり、国際部は準備に大わらわでした。
マカオは関西国際空港から直行便はありますが、毎日の運航ではなく不便なので、
関西国際空港⇔香港⇔マカオ(ターボジェット高速船)という方法で行きました。
飛行時間は3時間半、ターボジェットで55分の船旅と近いのですが、やっぱり1日がかりの移動です。
ただ、時差が1時間なので体の負担は大きくありません。
2年後には香港・マカオ間に橋がかかるという話を聞いて、びっくりです。
工事中の橋げたがありましたが、誰がそんな壮大な計画を思いつくのでしょう!!
22日の夕方、マカオの手話通訳者の案内で宿泊先のホリデイイン・コタイセントラルホテルに到着。
スーツケースを開ける間もなく、明日からの会議場の下見です。
とにかく広い!そして、そうです!ホテル内にもカジノがあります。
残念ながら、カジノで「ビギナーズラック」を試すことなく、毎日横目で見ながら通り過ぎました。
(1)WASLI理事会(23日9:30~24日15:00)
デブラ・ラッセル会長(カナダ)、ナイジェル・ハワード北米地域理事(カナダ)、
モニカ・プンジャビアジア地域理事(インド)と私の4人に、ホセ・ルイス・ブリエバ副会長(コロンビア)
とジョゼ・エジニウソンJr. ラテンアメリカ地域理事(ブラジル)がスカイプ参加です。
会計のスーザン・エマーソン(オーストラリア)は仕事の都合で24日に到着しました。
全通研国際部員が通訳・記録担当として参加しました。
理事会では、会長・副会長報告に続き各地域代表から報告がありました。
マカオ会議のスケジュール確認の後、インドでは警察の通訳をろう学校の教師がするので、
生徒は何も言えない状況であることや、ロシアは通訳者組織立ち上げ準備中、
北米地域はメキシコへの支援に力を注ぐ、パラグアイでは初めて通訳者研修が行われる予定、
といった地域報告がありました。
その他、組織のない国とのコンタクトはどうするかという悩みに、まずはろう団体とコンタクトを取ること
といった話も出ました。また、2015年のトルコ会議についても協議しました。

(スクリーンのジョゼと会話しながらの会議)
(左からナイジェル、デブ、右手前梅本、奥コリン・アレン理事長)
(2)開会式(25日11:00~12:00)
朝、9時すぎから10時半までWFDコリン・アレン理事長とWASLIデブラ・ラッセル会長の
基調講演があり、30分のティーブレイクを挟んで11時から開会式でした。
しょっぱなから「マカオ時間」が登場。ほぼ30分遅れの始まりです。
「国際会議はこんなもの」と思いつつ、やっぱり時間の目途がつかなくてちょっとだけ「イラッ」とします。
(左デブ会長 右マカオ手話通訳者)

(左デブ会長 右マカオ手話通訳者)
式の前にマカオの通訳者のネリッサから「WASLIアジア理事として、テープカットをお願い」と言われました。
「エッ! 私が!?」と思いましたが、「みんなと一緒だから大丈夫」と言われ、
胸に花をつけてもらい前列に座りました。
(テープカットの後、各国代表者を囲んで)

(テープカットの後、各国代表者を囲んで)
政府関係者や福祉関係者がずらっと並んでいます。
私の隣の方も、いただいた名刺を見ると「行政委員会委員」となっています。
ちなみに、マカオはポルトガルに占領されていたので、公用語は広東語とポルトガル語です。
式は広東語と国際手話、マカオ手話で行われているので、自分の名前が呼ばれたこともわかりません。
お隣の「行政委員」の方がそっと教えてくれました。やさしいです。
(3)WASLI理事との懇談会(25日14:00~17:00)
(3)WASLI理事との懇談会(25日14:00~17:00)
WASLIの理事たちが参加する、このチャンスを逃がす手はありません。
初めて理事たちとアジアの手話通訳者との懇談会を企画しました。
理事会参加の4人にスーザンを加えた5人の理事と、アジア各国から通訳者と関心あるろう者が、
合わせて12ヵ国40人も集まりました。部屋いっぱいです。
ここでもやっぱり壁はコミュニケーションです。
司会の私は英語と日本手話と身振り、ときどき「なんちゃって」国際手話です。
参加のろう者は国際手話通訳が必要といいます。
健聴者で英語がわからない人は、自国の仲間が音声通訳をします。
とにかく誰一人、置いてけぼりにならないよう、みんなで協力しようと呼びかけました。
デブ、スーザンとナイジェルが国際手話通訳を申し出てくれました。
でも、デブはみんなの質問に答えなければなりません。
そして、ナイジェルはろう者なので、発言者の英語を手話に通訳し、
それを見て国際手話にするという、リレー通訳です。そんなこんなで交代要員はなし。
20分交代なんて、とてもできませんでした。
その代り(?)みんなでストレッチをしました。みなさん、お疲れさまでした。


参加者からは、WASLIの会員資格について、通訳者組織は独立したほうがいいのか、
ろう協内部に作ったほうがいいのか、養成や認定をどうしているか、WASLI理事が研修に
来てくれるのかといった質問がありました。
韓国からは、船の転覆事故の時テレビに通訳がつかず情報が分からなかった。
他の国では緊急時と災害時のテレビ通訳がどうなっているのかという発言があり、
各国の状況を聞きました。
日本の状況も報告しましたが、ほとんどの国は緊急時の情報保障はなく
共通の課題ということを確認し、WFDとWASLIの合意文書が交渉の助けになる
という話になりました。
(4)ワークショップ(26日11:00~12:30)
(4)ワークショップ(26日11:00~12:30)
ほんとうは10:30から開始だったのですが、「マカオ時間」です(汗)。
担当のナイジェルに時間の短縮をお願いしてようやく始まりました。
昨日の懇談会は国際手話⇔音声英語の通訳がありましたが、連日は大変です。
ワークショップは英語のパワポとナイジェルのわかりやすい国際手話で進めることにしました。
テーマは「Deaf World, Hearing World, Interpreter, Diversity」
(ろう世界、 健聴世界、 通訳者、 多様性)
で、ろう世界と健聴世界の歴史や文化の違い、通訳者は表面に現れる「ことば」だけを
通訳するのではなく、意味を伝えなければならないこと、「ろう」という定義にはそれぞれの国の
イデオロギーが影響していること、ろう者のアイデンティティはどこから生まれるのかなど、
多岐にわたって話をしてくれました。みんな、真剣に「見て」いました。
(5)アジアへの支援

(5)アジアへの支援
会議参加国に対して、
自国のろう団体とともに活動し推薦状を事前に提出することを条件に、
登録料と同等金額を支援しています。
今年も、士協会と共同で5ヵ国に対して支援しました。
「日本の会員のみなさんに感謝します!」「日本からの支援があるから、参加できました」という声をいただきました。
(フィリピン)
(カンボジア)
(ネパール)
(インドネシア)
(モンゴル)
(6)WASLIアジア手話通訳者会議(27日10:30~15:00)

(フィリピン)

(カンボジア)

(ネパール)

(インドネシア)

(モンゴル)
(6)WASLIアジア手話通訳者会議(27日10:30~15:00)
本番です。参加はオブザーバーを含めて、11ヵ国36人。各国の代表者がメインテーブルに座ります。これまでで最高の参加数で、とてもうれしいです!!
今回の議題は
①各国の現状報告と情報交換
②アジア地域でのネットワーク作り
③次期アジア地域理事選出について
まず、議長にインドのプンジャビ氏とフィリピンのナティさんを、
記録者にインドネシアのピンキーさんを選出しました。
事前に集約している「手話通訳に関するアンケート」を基に、追加・修正をしてもらいました。
これでアジアの国々の状況がわかります。
ほんとうは、報告に対して意見交換をする予定だったのですが、時間がなくて報告だけで終わりました。今後の課題です。
ネットワーク作りは、FacebookからWASLIアジアの情報を自由にやり取りできるようにしよう、
という話になりましたが、私にはサッパリなので、インドのモニカさんとフィリピンのナティさんに
任せることにしました。情報がアジアの空を飛び交うことになるでしょう。
WASLI理事の任期は世界大会から次の世界大会までです。来年のトルコ会議で決まるのですが、
国代表が集まっている今年のアジア会議で方向性を決めました。
(それぞれ国名の手話をしています。どこだかわかりますか?)

(それぞれ国名の手話をしています。どこだかわかりますか?)
現在、アジア理事はインドのモニカさんと2人体制で担当しています。
他の地域理事は1人なので、アジアも理事は1人とし、その下に数名の地域担当者を置くということが
決定しました。立候補・選挙権はWASLI国会員です。
(7)全体会と閉会式(27日15:30~17:00)
(7)全体会と閉会式(27日15:30~17:00)
今回、全部で4つの会議が並行して行われました。
WFDアジア代表者会議、WFDアジアユース会議、WASLIアジア手話通訳者会議、
アジアろう女性会議です。全体会で、それぞれの会議内容の報告がありました。
直前まで行っていた会議の内容と合わせて、3日間の活動報告をしました。
もちろん国際手話はできませんので、全日ろう連のスタッフとして同行していた足立さんに通訳をお願いし、
私は日本手話で報告しました。やっぱり国際手話は必要です!でも、覚えられない…。
閉会式は、国ごとにろう者も健聴者も一緒に舞台に上がって、マカオろうあ協会からお礼の楯をもらい、お互いの労をねぎらいました。それから、全体で記念写真。

来年のトルコでの世界会議と、再来年シンガポールで開催されるアジア会議での再会を約束して、幕を閉じました。
追伸:マカオの気温は34度くらいで、日本の夏と同じです。でも、湿度が…!!
建物から一歩出ると、冬に電車に乗ったみたいにメガネがバーッと曇ります。初めての経験でした。
会議をしたホテルの場所は埋め立て地で、新しい巨大ホテルが立ち並ぶ地域です。
隣のホテルに行くだけでも大変。「コンビニでちょっと買い物」したくても、車で10分ほどかかります。
必然的に食事はすべてホテル内。ちょっぴり残念でした。でも、食事はとってもおいしかったです。
(ホテル内のフードコート。初日のランチを食べました)
(会議期間中は同じフロアーでバイキング。いろんな国の人と一緒です)
(26日夜のマカオろうあ協会創立記念パーティーで豚の皮がでました。ちゃんと顔がついてましたよ)

(ホテル内のフードコート。初日のランチを食べました)

(会議期間中は同じフロアーでバイキング。いろんな国の人と一緒です)

(26日夜のマカオろうあ協会創立記念パーティーで豚の皮がでました。ちゃんと顔がついてましたよ)
横綱日馬富士関(はるまふじ)のお兄さんが、モンゴルろうあ協会青年部副会長として
参加していました。朝青龍たちと一緒に撮った写真を見せてもらいました。
がっしりしてカッコいい!

(国際部長 梅本悦子 理事)
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