全国ろうあ者大会in山形に出席しました
みなさんご承知の通り全国ろうあ者大会in山形が開催されました。
私は全通研代表として、前夜祭及び大会に出席してきました。
私は全通研代表として、前夜祭及び大会に出席してきました。
「Japan Red」といわれる赤い新幹線です。
福島までは新幹線ですが、その後は在来線を整備したレールの上を走行します。
ですから、踏切もあり、カーブも急でスピードは出せません。
新聞で時々倒木や動物の侵入により山形新幹線が遅れる、
不通になることがしばしば報道されますが、現場を見ると納得です、まさに西村京太郎の世界です。
ただし、この日は慶應義塾大学病院の近藤 誠医師の書いた「医者に殺されない47の心得」を読みながらの旅でした。
ですから、踏切もあり、カーブも急でスピードは出せません。
新聞で時々倒木や動物の侵入により山形新幹線が遅れる、
不通になることがしばしば報道されますが、現場を見ると納得です、まさに西村京太郎の世界です。
ただし、この日は慶應義塾大学病院の近藤 誠医師の書いた「医者に殺されない47の心得」を読みながらの旅でした。
前夜祭はまさに「手作りパーティ」という感じで、東北各県が様々なものを持ち寄っての交流会という
アットホームな雰囲気のある集会でした。
青森県の踊りの時は、君島自立支援振興室長も皆さんに混じって踊っていました。
アットホームな雰囲気のある集会でした。
青森県の踊りの時は、君島自立支援振興室長も皆さんに混じって踊っていました。
この会場で今回、厚生文化賞を授与された板橋正邦氏とお目にかかることが出来ました。
1968年、福島県で開催された全国ろうあ者大会の時に、
「全国手話通訳者会議」を企画した方です。
言い換えれば全通研の生みの親かも知れません。

1968年、福島県で開催された全国ろうあ者大会の時に、
「全国手話通訳者会議」を企画した方です。
言い換えれば全通研の生みの親かも知れません。
お互いに歳を重ねたことを確認した一コマです。
全国ろうあ者大会は山形ビックウイングを会場として開催されました。
山形駅からバスで30分ぐらい離れたところです。
シャトルバスがありましたが、駅前は早朝から長蛇の列です。
仕方なく、士協会会長小椋さん、たまたま駅で遭遇した文部科学省の大西専門官と一緒にタクシーで会場に向かいました。
山形駅からバスで30分ぐらい離れたところです。
シャトルバスがありましたが、駅前は早朝から長蛇の列です。
仕方なく、士協会会長小椋さん、たまたま駅で遭遇した文部科学省の大西専門官と一緒にタクシーで会場に向かいました。
会場には既にたくさんのろうあ者の人が開場を待っておりました。
あちこちで「久しぶり、元気?」の手話が見られます。
また、たくさんの方から「全通研会長、大変だけれど頑張って」と手話でエールを送ってもらいました、嬉しいです。
あちこちで「久しぶり、元気?」の手話が見られます。
また、たくさんの方から「全通研会長、大変だけれど頑張って」と手話でエールを送ってもらいました、嬉しいです。
来賓挨拶では山形県知事、山形市長、君島室長が可能な範囲で、
大西専門官が全てご自分の手話で挨拶をされました。
大西専門官が全てご自分の手話で挨拶をされました。
全通研山形支部の皆さんも、要員、手話通訳で奮闘されていました。
東北らしい、地味だけれど暖かい全国ろうあ者大会でした。
(文・写真:石川芳郎会長)
(文・写真:石川芳郎会長)
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