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2013年4月27日 (土)

高松市手話通訳・市外派遣拒否違憲訴訟 第1回弁論を傍聴して

~きこえないお母さんの親の権利を奪わないで~

原告池川洋子さんが、手話通訳派遣却下処分を受け、その取り消し及び手話通訳費用5,140円と慰謝料10万円の損害賠償を求める裁判を、平成24年2月28日に起こしました。
その後1年以上経過した平成25年4月22日に、第一回目の弁論が高松地方裁判所で行なわれました。この裁判に至る経緯については、「高松市の手話通訳派遣を考える会」からの支援ニュース等でご存知の方も多いと思いますので省略し、今回は当日の裁判の様子を中心にご報告します(写真は、記者会見の様子です)。

まず、驚いたのはこの裁判に係る裁判所職員の多さでした。第1号法廷前で並んでいる傍聴人の整理を、複数の職員が大きめの紙に指示(例えば:人数を確認しますのでお並びください:ここが最後尾ですなど)を書き込み、高く掲げ廊下を何度も往復し指示をしていました。また、マスコミ関係者で私の隣にいた方は、本来担当ではないのだけれど、この裁判には関心があり一般参加の傍聴を申し込んだ、と話され、関心の深さがうかがえました。
支える会の皆さんが汗だくでさまざまな対応をされていたのはいうまでもなく、やっと始まる裁判を前に緊張と安堵の表情が見て取れました。

そのような中、開始30分前の14時となり傍聴席に入りましたが、今まで体験したことのない法廷の雰囲気に驚きました。1年以上かけて裁判所と交渉し情報保障のためにご苦労された内容が実り、反映されている会場となっていました。少し説明をすると、法廷内には手話通訳者が3名、傍聴席には手話通訳者2名、盲ろう者の触手話3名、難聴者のためのパソコン要約筆記者が3名、また、傍聴席96席の内20席ほどの席が取り外され、その場所は、車椅子の方、触手話のし易い椅子の配置、パソコン用の長机の設置がなされ、磁気ループでの補聴システムも設置されていました。文字情報は、原告側(向かって左側)の壁に、パワーポイント画面・パソコン要約筆記用の画面が映し出されて(そのためにプロジェクターは法廷内に2台設置)、文字情報や手話通訳を必要とする方々が情報を入手し易い席となっていました。


会場の準備等が終り、原告側の意見陳述が始まりました。最初に陳述したのは藤木和子弁護士です。手話通訳派遣拒否が憲法・条約・法律に違反していると主張する理由を、自身の手話表現とパワーポイントの両方で述べられました。法廷で聞こえる弁護士が自身の手話で意見陳述をしている光景は、大変興味深いものでした。
藤木弁護士は、憲法25条「生存権」の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」からくる社会保障制度、そして13条「個人の尊重」14条「平等権」にも大きくかかわると述べて、また、21条「情報取得権」26条「教育権」の違反しているものであり、障害者基本法第3条3項、高松市の(旧)障害者自立支援法違反であるとも述べました。
この裁判は、平成23年8月5日の障害者基本法改正で、法律で「手話」が「言語」と規定された後の最初の裁判であり、改正障害者基本法の意味を問う訴訟となりました。

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▲藤木弁護士

次に、池川さんからの陳述です。池川さんは、大地を踏みしめるようにしっかりと証言台に立ち、前方の法壇に座る裁判長に向かい「裁判長、私の手話を見てください!」と語りました。その語りかけが良かったのか、その後の三人の裁判官は、池川さんから視線を外すことなく聞き入っていました。第一声のこの言葉はとてもインパクトのある言葉でした。

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池川さんは、手話はいかに自分にとって大切な言語でありコミュニケーション手段であるかを切々と訴えました。また、子を持つ親として、聞こえる母と同じ気持ちで子育てをしてきたこと、学校や娘に負担をかけたくないとう思いで手話通訳の派遣をしたことなどを話されました。そして、高松市長に対して、自分も他の人とかわらず同じ高松市民であり、その市民を守るのは、市長の役割であること、高松市はろう者の声を聴き実態を把握して進めてほしい。そして、市が宣言している「人権尊重の市」を実践してほしいと結びました。

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▲池川さん




最後は、田門浩弁護士からの陳述です。主に聴覚障害の特性など基本的なところを説明し、ろう者である池川さんにとって、手話は一番大切なコミュニケーション手段であることを具体的に他の手段と対比させ訴えました。手話はろう者の言語であり、障害者基本法第3条に「全ての障害者は、可能な限り、言語(手話を含む)その他の意思疎通のための手段についての選択の機会が確保されるとともに、情報の取得又は利用のための手段について機会の拡大が図られること」とあり、手話を言語として認めていることを伝えました。そして、手話は単なるコミュニケーション手段ではなく「言語」であり、ろう者が手話によって情報を得ることが重要な権利であることを理解していただきたいと結びました。
この意見陳述のために1時間設けられており、この時間の長さは民事としては異例なことだそうです。

その後、証拠調べの書類提出・答弁書等の確認がありました。
次回、次々回の弁論期日9月30日14:40~、12月9日14:30~を決定して終了しました。

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▲記者会見の様子

記者会見は16時過ぎから始まりました。池川さんは「法廷では、自分と多くの全国のろう者の気持ちを含め訴えた」と思いを伝え、これからの支援をお願いしました。続いて田門弁護士は、「手話はろう者にとって大切な言語であり、それを使えないのは重大な権利侵害にあたるので、派遣拒否をなくすために活動している」と話しました。
マスコミ各社からは、「今回の通訳費用は公費負担にならなかったが、今後どう展開していくのか」など質問があり、「障害者基本法第29条では、司法場面でもコミュニケーション保障は必要だとされているが、運用されていないのが現状である。民事訴訟費用等に関する法律第2条等の立法を変えていかないといけない。日弁連や法務省等に意見を提出し、全日本ろうあ連盟や支援団体などは、公費保障に向け運動している」と答えました。また、今回の情報関連の整備(手話通訳や磁気ループ等)についての感想を聞かれると、「昨年2月に提訴して以来、法廷・傍聴の両方の情報保障について、交渉をしてきた。公費負担にはならなかったが、環境面では一歩前進だと思っている。裁判所には、柔軟な対応をしていただき感謝している。このような状況が公費負担に結びつき日本中に広がっていけばと願っている」と答えました。

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▲嶋本全日本ろうあ連盟理事

全日本ろうあ連盟嶋本恭規理事からは、「情報保障の面では大きな一歩となった。聴覚障害者や司法関係者にとっても今回の裁判の意義は大きい。長い戦いになるが共にがんばろう」と激励がありました。
全日本難聴者・中途失聴者団体連合会の川井節夫理事からは、「裁判開始にあたり、池川さんと弁護団に敬意を表したい。聴覚障害者の権利の拡大に繋がることだと確信した。心の拠り所としても当事者団体に所属している意義は大きい。派遣等をより拡大していくためには、従来の生活から一歩踏み出すことが大事である。共に頑張りましょう」と続いて激励がありました。最後に全国盲ろう者協会の川島朋亮氏からは、「盲ろう者として司法の場の情報保障についても、意見を出させてもらい今日を迎えた。情報の入手には前もっての資料など様々な対応が望まれるが、中央本部の取り組みも含め、今後、盲ろう者も司法現場に参加できるようにしていきたい」と話されました。

この度の裁判は、手話通訳費用が公費負担にはならなかったものの、多くの方々に「障害者が司法に参加することとは」を考えてもらう大切な機会となり、原告側・被告側・司法関係者・報道関係者、そして支援する私たちに多くの課題と展望を与えてもらった裁判となりました。

(全通研理事 森川美惠子)

2013年4月22日 (月)

全国手話研修センター企画「ろう教育史跡めぐりプラン」に参加して

千葉県手話通訳問題研究会(ちば通研)の地域班である鎌ケ谷班10人で、「ろう教育史跡めぐりプラン」に4月18日と19日の2日間、参加してきました。

私が研修センターに運営に関わっていること、後援会の呼びかけに気持ちよく応じてくれたことなどをきっかけに、「研修センターをぜひ一度見学したい」ということになりました。ただ、見学するだけでなく勉強もしたいということだったので、何か良い企画はないと探しいたところ、このプランのチラシを偶然見つけたのです。それを鎌ケ谷班の皆さんに見せたところ、ぜひ、行きたいと言うことになりました。

京都はろう教育の発祥に地であるので、ろう教育のことを学びながら、新緑の京都を満喫することになりました。呼びかけに応じてくれた10人は、決して若くはないが、気持ちはまだまだ二十歳ですという人たちばかりです。

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この企画の良いところを紹介します。見学した中身を話してしまうとこの企画が今後、成り立たなくなってしまいますのでね。
先ず、講師の先生がすばらしいのです。私も当日まで誰が講師になってくれるのか全くわかっていませんでした。当日、初めて知りました。史跡めぐりの説明には持田隆彦さんです。持田さんは、京都の支部長さんです。また、今回のお世話係には研修センター職員の河井友佳さんでした。


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▲全通研京都支部の持田支部長


夜の無料講演会の講師は、小出新一常務理事が担当してくれました。何と研修センターの責任者から直接お話しを聞けるとは思ってもみませんでした。鎌ケ谷班の中には、この小出さんが書いた『手話知らんですんません』の本を読んだことがある人も参加していたので、まさか本人に会えるなんて思ってもみなかっただけに、その人は大変、興奮していました。「全通研の活動を通して 今 私たちにできることは」のテーマで1時間半たっぷり講演してもらいました。話がとても丁寧でわかりやすく、これまでのろう運動の展開から、現在の抱えている課題についてしっかり学ぶことができました。

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▲研修センターの小出常務理事

二番目に、こちらの希望を企画に活かしてくれることです。チラシには基本的な2日間のプログラムが書かれています。でも、担当の人と十分話すことで、こちらの希望するプログラムに修正をしてくれました。全ての希望が叶うことではありませんが、十分、話を聞いてくださり、変更をしてくれるのも助かります。


私たちは、先ず、期日の希望を聞いてもらいました。そして、夕食の時間も少し後ろにずらしてもらいました。そのことで、一日目は学習に使い、二日目は観光ということでメリハリをつけることができました。時間的にも余裕ができ、二日目の嵐山散策は、荷物をセンターに預かってもらい身軽に美味しい空気や景色を見ることができました。

三番目です。ちょっと歳をとると食べるものが気になります。でも、この研修センターで三食摂りましたが、私たちの年齢に配慮してくれる料理を出してくれました。
一日目のお昼には京野菜館特製の折衷弁当を予約しました。野菜をたっぷり使った料理でした。

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▲京野菜館特製の和洋折衷弁当



夕食は、小出さんの講演を聞いた後に、和室で宴会をさせてもらいました。宴会でのお料理にも知恵と技を活かした物がたくさん出て来ました。お豆腐や天ぷら、刺身など食べきれないほどでした。若い人にも気を使ってか、唐揚げもたっぷり出ました。私たちのメンバーはちょっとカロリーオーバーを気にして、たくさん残ってしまいました。心の中でごめんなさいでした。もちろん、宴会ですのでお酒もばっちりでした。

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▲宴会メニュー



話は変わります。私たちはいくつかの出来事に出会いました。
先ずは、現在の待賢小学校の近くの「日本盲唖教育発祥の地」の石碑を訪ねました。
持田さんが、この石碑に関係する人物や出来事を説明しているときに、突然、現れた青年がいました。

半井真澄さんの息子さんで緑さんという子の話を持田さんがしていたのですが(半井真澄さんは京都の護王神社の宮司で、息子の緑さんは盲生徒として盲唖院に入学しました)、話だけではわかりにくいので、持田さんは名前などを書いた紙を事前に準備してくださっていました。
聞こえない人にも私たち聞こえる人にとっても、見ることで理解ができました。

「半井真澄 緑」の紙を見た青年は、「私の血のつながった人です」と言うではありませんか。
青年は、緑さんが曾祖父さんにあたる、半井貴澄さんという人でした。持田さんも何回かこのプランでこの場所を訪れているのですが、血筋のつながった人に出会ったのは初めてとのことで大変びっくりされていました。

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この石碑のある場所に来るまでに鬼瓦など変わっている瓦を見ながら歩いてきましたが、この半井さんは、その変わった瓦のお店の社長さんでした。また、石碑の盲の目のとこが削れてなくなっている理由も半井さんの会社の従業員の方から聞くことができました。
その社長さんと一緒に記念の写真を撮りました。


二番目は、朝の食事をしているときに宮澤典子さんに偶然会ったのです。宮澤さんは全通研の仕事でたまたまセンターに宿泊をされていました。宮澤さんがひっこり現れたので、DVD手話通訳レッスンで表紙を見ていた人は「あっ!」と言ったきりびっくりした顔のまま。そうなのです。このセンターに泊まれば、偶然、全通研やろう連盟の役員をやっている人に会えるのです。こんなチャンスはここに泊まらなければ実現できないのです。もちろん宮澤さんを囲んで記念写真を撮りました。宮澤さんも笑顔で気軽に接してくれました。感謝しています。


今回、私も研修センターの企画に初めて参加しました。研修センターってすばらしいなと感じました。このような良い企画をいっぱいやっているのだと改めて知りました。
私たち役員が支部の皆さんに、「このような企画があるから私と一緒に行かないか」と声をあげていくことが必要なのかなと強く思いました。ただ、「泊まって」とか「行って」とかではなく、役員、自らが企画を宣伝して一緒に行こうと呼びかけることが大切だと思いました。役員である私自身を身近に知ってもらう良い機会にもなります。雲の上の人ではなく、みんなと一緒なんだよということを知ってもらうことが出来るのです。
お世話になった河井友佳さん、持田隆彦さん、小出新一さん、そして、宿泊などの事前の打ち合わせや当日関わってくれた方々に、感謝申し上げます。10人はみんな満足して無事に帰宅しました。10人は偉いですね。感謝の気持ちをセンターに残そうと、みんなは研修センターでたくさんのお土産を買っていました。10人に感謝です。

(全通研理事 渡辺正夫)

2013年4月17日 (水)

北海道の代議員会ブロック別会議

4月13日(土)に札幌市(北海道)で開催する代議員会ブロック別会議に出席し全通研執行理事として説明を担当することになった。
予約した飛行機は朝8時神戸空港発。これに乗るためには朝5時に起きなければならぬ、ということで朝食をほぼ終えた5時半過ぎ。がたがたっ、と部屋が揺れた。しかもすぐ終わらずしばらく揺れ続ける。
『地震!』
揺れが止まってから部屋の中を点検すると壁から何も落ちず、食器も転落せず被害はゼロだった。すぐラジオをつけると「淡路島で震度6、神戸は震度4」といっている(あとでわかったことだが幸いにも淡路島でも大きな被害はなかった)。
すぐに頭にひらめいたのは「きょう北海道に行けるのか」ということだった。「空港はだいじょうぶか」「空港までの交通機関は動くのか」等々の質問が浮かぶ。何より私の本職の職場はだいじょうぶか。

本職の方は震度5なら出勤必須だが「震度4」ということでとりあえず置いておいて、当初の予定通り6時に家を出て最寄りのJRの駅に行くと…。予想通りJRは止まっている。駅の放送では「復旧の見込みはたっていません」といっている。
『うー』とうなりつつ他に手段もなくスマホアプリでラジオを聞きながら復旧を待っていると6時半前になって放送で「(並行する私鉄が)運転を再開しました」と告げたので私鉄に向かう。

ところがこの私鉄が(余震の可能性を考えればやむを得ないことだが)安全のために時速25キロの徐行運転。迫る出発時間に気持ちは焦るが他に方法はない。通常30分以内で行ける三宮駅だが結局90分かかって8時に到着。駅の空港情報画面で私が乗るはずの飛行機が8時15分に出発することを知るがどうしようもない。
空港到着は8時半前。『パックツアーだけど振替してくれるのかな…?』と不安におびえながら航空会社のカウンターに行って事情を説明すると、航空会社自前のパックだから? あっさりと「わかりました。後続の便に振替いたします」といわれて一安心。ただし関西空港発の便ということで神戸空港から船で関空に移動することに。
結局札幌には当初予定から3時間遅れで14時過ぎに到着。

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17時からブロック別会議。広大な北海道では会員が集まるのはたいへんなので支部総会をあわせて翌日に開催するということであり21時までの4時間の会議である。
共通資料のパワーポイントをもとに議案書の説明。あわせて最新情報ということで、総合支援法の意思疎通支援事業の内容や手話通訳派遣事業のモデル要綱の概要を説明する。
質問・意見交換で多かったのは「総合支援法やモデル要綱の前進点を地域での実施に結びつけるためには」「会員数が頭打ち。増加に結びつけるには」「運営委員会が欠員状態。後継者育成のためには」というあたり。それぞれ全通研にとって基本的かつ切実な課題だ。
終了後は交流会。「本当のホッケはこんなに小さくない」「もっと脂のっているしねえ」等々楽しい話題の中北海道のみなさまにはたいへんお世話になりました。ありがとうございます。

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翌日(14日)の午前中は支部総会(総会は16時までなので途中まで)に出席。運動団体の側面からの鋭くかつ真摯な質問内容に驚く。北通研が期待されていることがびんびんと伝わる。北海道支部のこれからの前進を確信した時間だった。
(IT)

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