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2012年12月17日 (月)

第5回アジア手話通訳者会議に参加して~その3

香港で開催されたアジア手話通訳者会議にオブザーバーとして参加してきました。


会場では国際手話と英語が飛び交い、国際部の方々、国際手話ができる
全日ろう連青年部のメンバーに通訳ををしてもらいながら参加することが
できました。

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アジア各国の聴覚障害者や手話通訳者を取り巻く環境や法制度は大きな差があり、
残念ながらどの国も、障害者の権利保障や手話通訳制度が不完全な状態だということが
共通項となっています。



アジアの中では先進的な日本や全通研の役割と実践、各国との連帯・意見交流の
必要性を強く感じ帰国しました。



会議開催中の昼食と夕食は品数が多く、胃袋はパンパンに。

香港の中心街で食べた飲茶やラーメンもこれまた絶品。

体重が増となったことは言うまでもありません。

                                  (東京支部 江原こう平)

第5回アジア手話通訳者会議に参加して~その2

今回、初めて国際的な会議に参加し、とても貴重な経験となりました。

アジアの今の様子が垣間見えてとても刺激的でしたし、直接にいろいろな国の方たちの
話を聞くと、その国々が身近に仲間として感じられる気がしました。


通訳者の悩みや目標は、共通点もあれば状況が全く違う面もありました。



今後は、まだ未参加のアジアの国々はもちろん、日本からも是非多くの方に参加して
いただきたいと思いました。

                              (内田美春 国際部員)

第5回アジア手話通訳者会議に参加して~その1

第5回アジア手話通訳者会議に参加しました。

Photo

私は第1回会議(マカオ)にも参加したのですが、
当時とは比べ物にならないほど充実していました。


以前はコミュニケーションするだけでも大変でした。

今回は、英語と母国語の音声通訳を手配したり、
ろう通訳者には仲間の健聴通訳者が手話通訳をしたり・・・
時間のロスが激減しました。



また、文化的背景や国情が異なるために、
以前は互いに状況をなかなか理解できませんでした。

例えば、日本では宗教場面に通訳を派遣できないと言うと、
教会での通訳は基本!という国には理解できないようでした。

でも今では、お互いの違いをそのまま認め、
受けとめ合える関係が築けていると感じます。



通訳者が数人だけという国も少なくありません。

共感できる仲間が集う貴重な機会です。




食事時間においしい中華料理をいただくと
日頃の愚痴や失敗談がボロボロこぼれ、
爆笑のうちに交流することができました。

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各国で頑張っている皆さんから、
たくさんのパワーをもらって帰りました。

アジア会議の今後の進展がますます楽しみです。

              (長崎 千佳恵 国際部員)

2012年12月14日 (金)

第24回アジア太平洋地域代表者会議と第5回アジア手話通訳者会議に行ってきました!

毎年、世界会議の年を除き、WFDアジア太平洋地域代表者会議(AP会議)に合わせて、
アジア手話通訳者会議が開かれています。

今年は11月28~30日に香港で開催されたAP会議に合わせて、第5回アジア手話通訳者会議があり、
全通研からは梅本国際部長、長崎国際部員、内田国際部員と
一般参加として東京支部の江原さんが参加しました。


また、日本手話通訳士協会からは林理事と国際委員の三澤さんが参加しました。

全通研として世界手話通訳者協会(WASLI)アジア地域理事を担当していますので、
この会議は私たちが主催ということになり、開催準備やアジア各国への呼びかけ、
当日の進行までを担当。

一般の参加とは少し状況が違います。

緊張と責任で肩の荷が重い気持ちを抱きつつ、アジアの仲間と情報交換や交流をしてきました。

 11月27日(火)、関空と成田から飛び立った私たちは香港空港で合流。

香港ろうあ協会のみなさんが出迎えてくれました。
バスで会場まで連れて行ってくれると聞いて、ホッと安心。
実は、迎えがあるかどうかわからなくて、地下鉄で移動しようと思っていたのです。

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 タイや韓国からのろう者と一緒に4時前にバスに乗り、1時間半くらいで香港柴湾(ほんこんちゃいわん)にある会場の香港ユーススクエアに到着。
すぐに登録手続きです。

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その場で写真を撮り、パソコンで参加証の名札を作ってくれました。
最近はどこにいっても顔写真付きの名札ですね。
作業がスムーズに流れて、これまでにない速さで登録が終わりました。

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 ホテルのチェックインを済ませ、部屋に行きました。

宿泊はYロフトと言って、会場の別棟に作られた「青年の家」のような感じのところです。

4人部屋も覚悟したのですが、幸い2人部屋に入れました。

想像ですが、申し込み順に部屋割をしたのではないかと。

早く申し込んでよかった!
部屋は飾りっけのないさっぱりした感じですが、ベッドとシャワーはあるし、清潔なので十分です。

夕食会場で全日ろう連の方たちとあいさつ。

インドネシアのピンキーさんとも再会のハグをしました。

 28日(水)。

前日に「7時から朝食の準備があります」といわれていたので、
真面目でお腹がすいた日本人一行はきっちり7時にレストランに行きました。


でも、でも、誰もいない!


実行委員さんもいない!


レストランの従業員女性は「7時半」と聞き取りにくい英語で言うばかり。



仕方なく待っていたら、7時半を過ぎてようやく参加者がぼちぼち朝食に降りてきました。

やっぱり!! 



海外では時間はあってないようなものということがわかっていたのに…。


やっと出てきた朝食は、とっても質素でした。

シリアルと牛乳、ゆで卵(アツアツでした)、パンと汁麺(これは日替わり)だけ。


食後のコーヒーは、駅のスターバックスに買い出しです。


でも、お昼と夜の食事は豪華でした。


ただ、肉系が多くて日ごろ野菜メインの私の腸にはいささか負担だったらしく、
消化不良に疲れが相まって国際会議で初めて体調を崩し、トイレ通いの経験をしました。

きつい!!

 28日は、開始予定時刻の9時を20分以上過ぎて、AP会議の開会式典(全体会)が始まりました。


全員起立しての国歌(バックの映像がすごかった)に続き香港ろうあ協会会長あいさつ、
平等機会委員会主席あいさつ、労働福利局委員会主席あいさつ、国際健康総会主席あいさつがありました。



基調講演は世界ろう連盟のコリン・アレン会長です。
パワーポイントを使って世界ろう連盟について話されました。
国際手話ができない私でも「見てわかる」話でした。

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お昼をはさんで、13時からいよいよ手話通訳者会議です。

 事前にAP事務局の宮本さんを通じて、会議の部屋をお願いしておきました。

過去の会議で、事前にお願いしておいたにもかかわらず部屋の確保ができていない時があって、少し心配していました。

でも、さすがの香港です。部屋はもちろん、同時にお願いしておいたパソコンとプロジェクターもちゃんと準備がしてありました。

感謝です。

 通訳者会議の参加は、8ヵ国(シンガポール、ネパール、マレーシア、インドネシア、韓国、マカオ、香港、日本)16名と数名のオブザーバーです。

会議は各国代表2名ずつの参加で進め、オブザーバーは後ろの席で傍聴。

デブラ・ラッセルWASLI会長のあいさつビデオをみんなで見て、自己紹介、議長選出、記録者確認と進めていきます。

議長は、1日目はネパールのヤダブさん、2日目はインドネシアのピンキーさんにお願いしました。

記録は、マカオのジーナさんが手を挙げてくれました。


お互いに協力しあって会議を進められるのは、ほんとうにうれしいし、みんなで創る会議というのを実感できます。

 


韓国から健聴の通訳者とろう者が参加していました。
会議は英語です。通訳者には英韓通訳者がついていましたが、ろう者には国際手話通訳が必要となり、
参加者にボランティアをお願いしたところ何人か申し出てくれ、交代で通訳をしてくれました。


全通研国際部員の長崎さんと内田さん、士協会の三澤さんは日本語での記録を担当してくれました。

記録のための英日通訳をオブザーバーの江原さんが聞くという形です。
国際会議は「伝えあう」というコミュニケーションの原点だという気がします。

 議題は、①WASLI理事会報告、②事前アンケートに基づく各国の通訳事情の報告、
③アジアのネットワーク作りについて。

各国からの報告は共通課題もあれば、文化の違いを感じさせるものもありました。

共通課題は、法律の裏付けがなく、手話通訳が社会的に認知されていない、
養成がきちんとできていない、通訳者が足りない、謝金の基準がなくもらえない場合もある、
1日1人の通訳者が担当したり、4日間なので3人必要と言ったが認められず2人で担当した、
また仕事をしながら活動しているので時間的にも体力的にも大変、などです。


文化の違いは、インドネシアでは金曜日にバティック(伝統的な模様の服)を着ることが義務付けられているが、
全面模様の服では通訳ができないので、通訳直前に上着を脱いで無地の洋服になったとか、
イスラム教での通訳に行ったが、ろう者は男性で通訳者は女性だったため入室を拒否され、通訳できなかったなどです。

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 15時30分までしっかり会議をして、30分の休憩です。

ブリックパックのジュースやインスタント・コーヒーの準備がありました。

あまいお菓子もあって、みんな疲れを取りながらここでも交流をします。
 16時から1時間、「ろう児の学習方法」の講義を聞き、
17時から「アジア太平洋女性のつどい」の記録を手伝いました。

AP会議に青年部はありますが、女性のつどいは初めての企画です。

もちろん参加はろう女性のみ。男性は傍聴も許されないというきびしい(!)ものです。

5カ国8人が参加し、「ろう」という障害に「女性」差別が重なっている事例がいくつも出されていました。

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 夜は歓迎パーティーでした。19時から22時までで、長い。


香港ろうあ協会のメンバーがダンスなど披露してくれました。

でも、顔を見たら、昨日食事のチケットを受け取っていた人や会場担当で世話をしてくれた人、通訳をしていた人などです。

一人何役も担当しているんだなあと思いました。ほんとうに開催地元は大変です。

みなさんの苦労に感謝です。

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 29日(木)、香港3日目です。


9時から12時まで昨日の会議の続き。

手話通訳者養成の課題やせっかく育ったと思っても収入が低いと辞めてしまう。

また、ろう者自身が通訳者の問題について理解がないというのも多くの国から出ました。

自治体の財政状況によって予算が左右されるという実態も共通でした。


以前は家族に通訳を頼んでいたが、結局何のことだかわからず通訳を依頼してくるという話もありました。

 各国の状況を話し合った後、アジア38カ国2地域のうちコンタクトが取れているのが17ヵ国と非常に少ないこと。


もっとネットワークを広げるために、知り合いの通訳者に声をかけ、WASLIに結集することを呼びかけて通訳者会議は終了しました。

 今年もアジアの仲間に士協会と共同で財政支援をしました。

地域ろう協の推薦状をもらうことが条件で、1国US$300です。


今年はマレーシア、インドネシア、ネパールの3カ国から申請があり、支援しました。

Goh

(マレーシア)

Photo

(インドネシア)

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(ネパール)

 昼食をはさんで、午後はワークショップです。


その前に、大浦診療所(長崎県)の井手先生に許可をいただき、
『手話通訳問題研究』に掲載されたストレッチからいくつか抜粋して英語に翻訳した資料をもとに、
みんなでストレッチをしました。

16人の参加者の中で、現在痛みがある人はと聞くと、6人の手が上がりました。

健康問題は大きな課題ですね。

滋賀医大の北原先生から健康問題の講義資料を使ってもいいとおっしゃっていただいているので、
パワーポイントとストレッチ資料を持って、世界中飛び回りたい気分です。

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 ワークショップは士協会の林さんが担当です。

今年のテーマは「手話通訳者の職業倫理について考える」で、パワーポイント資料を準備してくださっていました。


ポイント説明のあと質問(クイズ?)という方法だったので、
参加者も自由に考え、発言していました。



2時間半という短い時間なので、準備された質問のうち
①専門職とは、②正確な通訳とは、③公平性とは、の3つについて意見交換をしました。


守秘義務や教育、雇用などは次への宿題です。
ここでもいろんな通訳場面の話で盛り上がりました。やっぱり、通訳は世界共通です!

 昨日の夜、歓迎パーティーだったのに、もう今夜は閉幕パーティーです。
毎日パーティーで楽しそうと思うでしょう?


実際は、時間も長いし、ずっと話さなければならないしで結構しんどいです。

アジアの風習でしょうか、プレゼント交換というのが必ずあります。


これまで、通訳者はこの輪にあまり加わらなかったのですが、今年は参加国のうち、
かなりの国からプレゼントをいただきました。

これも通訳者会議が認識されてきた結果と思うとうれしいのですが、
おかげで私のスーツケースは超満員です。

重量オーバーを心配しながら荷物を整理しました。

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最終日の30日(金)。


青年部、通訳者会議、女性のつどい、AP会議と順番に全体会で報告がありました。

英語で会議をしながら記録を取ることは不可能なので、
この日は朝から日本語記録があるパソコンの前に陣取って、話された内容の確認をあわててしました。

何とか準備したと思ったら、私は国際手話ができないことにハタと気がついたのです。

全日ろう連の青山さんに通訳をお願いしました(ホッ!)。

会議報告をしたのに、出てきた質問は「痛い時は休んだほうがいいのか?

ろう者に伝えるのか?」など、けいわんに関することです。
ろう者とともに学ぶことが必要ですね。

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1日(土)は自由行動。

香港の街中を散策したり、ぐるぐる巻いたお線香で有名な香港で最も古いお寺の文武廟(マンモウミュウ)に行ったり、
ストレス解消をしながら、ゆったり過ごしました。


香港滞在中、ずっと曇りで時々雨がぱらついていました。

普通はからりと晴れた青空が望めるそうなのですが、今年はどうしたのでしょう。


木綿の長そでに薄い上着かカーディガンでちょうどいい気候でした。

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2日(日)午後の便で帰国しました。

2012年12月 6日 (木)

きょうされんがんばるディ2012に参加しました

「きょうされんがんばるディ2012中央企画」が12月3日新宿駅前で行われました。

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この企画の特徴は4時間のマラソンスピーチです。


きようされんが用意した宣伝カーの上でさまざまな団体や個人が
課題や要求を連続的に述べることです。


当日の東京は気温10度という風の強い、寒い日でした。

新宿駅前ロータリーには関東を中心にして作業所で働く仲間や職員が
おそろいのスカーフを巻いて、署名、募金活動を行っています。


藤井常務理事の挨拶から始まり、稲川淳二さん、ジェームス三木さん、
関係団体等を含め24組のスピーチがありました。


多様な障害を持った人々や関係者が社会のゆがみの中で、苦悩し、
そしてがんばっていることがよく分かります。



全通研も数年前からマラソンスピーチに参加し、手話や手話通訳者、
聴覚障害者の暮らしの問題について訴えてきています。


今回も全通研にはたくさんの層の会員さんがいること、情報・コミュニケーション保障の未整備状況、
手話通訳派遣拒否を訴えた高松裁判について述べてきました。


同時に、コミュニケーション保障を担う手話通訳者の劣悪な労働条件についても話しました。



また障害者基本法の改正を一つの武器に情報・コミュニケーション保障を前進させるために
市民の皆さんのご支援が必要とお願いしてきました。



4時間の街頭署名・募金活動の成果は283筆、10万334円ときょうされんのHPには報告されています。

署名や募金にご協力いただいた市民の皆さん、
寒い中、新宿駅頭に立ち止まり、話を聞いてくれた市民の皆さんに感謝します。

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地上でも寒いのですから宣伝カーの上の寒さは一層です。

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そんな中、東京手話通訳問題研究会から鎗水さんが手話通訳として駆けつけてくれました、感謝です。

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さまざまな障害を持った仲間や家族の訴えの中で、たくさんのことを学び、
もっともっと関係する人々との輪を大きくすることの大切さを実感しました。

                                                            (全通研会長   石川 芳郎)

2012年12月 4日 (火)

第18回全国中途失聴者・難聴者福祉大会in埼玉 ~2012.12.2

12月2日に埼玉県さいたま市浦和で
第18回全国中途失聴者・難聴者福祉大会in埼玉の式典があり、
石川会長の代理で来賓出席してきました。


式典開始が9時45分とあって、自宅近くの駅から6時過ぎの電車に乗り、
新潟駅から上越新幹線に乗りました。

新潟市は前日に雪が降り雷が鳴っていました。

出かける今朝も雪がちらちらしていましたが、浦和に着いたときは青空で、
ずいぶん違うと感じました。

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式典で厚生労働大臣の代理で祝辞を述べた自立支援振興室の君島室長は、
その中で、自立支援法から障害者総合支援法にかわることで、
コミュニケーション支援が意思疎通の支援に変わったことは、
単にカタカナから変わっただけではなく、
思いや気持を伝えるというより深い意味のことだ、というようなことを言っていましたが、
どういうことなのかよく分かりませんでした。


会場を出て浦和駅に向かって歩いていくと交差点があり、
赤信号なので横断歩道の手前で立ち止まると、
「ピッピッ」と音がして「赤信号です」との音声が流れてきました。

偶然そのようなことになったのか、私が交差点の横断歩道のところに
立ち止まったことを感知してのことなのか、分からなかったので、3メートルほど少し戻り、
先程と同じように歩いて立ち止まると、同じ事が起きたのです。

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歩行者用信号機を見上げると、なにやら四角い箱のようなものに
カメラのようなものが付いていて、それが人を感知しているようなのです。

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青信号に変わると「青信号になりました」と音声が流れます。

これと、昨年このさいたま市で施行された差別禁止条例とが関連があるのではないかと思いました。
                                                                    (文・写真:長谷川研究誌部長)

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